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小夜子さん
今はどこにいますか?
私は今も灯し続けています
灯すべきところを
灯すべき時に
出逢った頃よりいつも感じていました
「小夜子さんはここにいるようでいてここにいない」と
だから今でも
どこかでふわふわしているのではないか
何か新しいものを発見したり
繫いでみたり
踊ってみたりしているのではないか
蒙古斑革命のあの頃はまだインターネットというものが身近なものではありませんでした
出逢うことや、ライブにこそ価値があると感じていました
しかし
こうして蒙古斑革命サイトが復活する今
ここに小夜子さんは生きていてみんなのことを見ているんだ
そう思うと
改めて身を正し、そしてほぐし、自分のなすべきことに集中しよう
また自分が灯す明かりの中で
小夜子さんが舞ってくれることを願って
「蒙古斑革命」山口小夜子×高木由利子 復活に寄せて
http://mokohan.sayokoyamaguchi.com/
2017年12月
Candle JUNE
自ら作り
灯し初めて23年ほど経つ
火の意味を考え
灯す場所を意識し
自分自身の「生きる」を考える
生きるために灯し
灯すことで生かされて来た
「負ける」ことをたくさん知って
「勝つ」ことの意味もわからなくなった
世界でどんなに酷いことが起きても
なくなってしまう人はなくなり
生き残る人は生き残る
なんとかしたい!
と思うことも
どうにもできないこともあることを知る
どれも当たり前のことなのかもしれない
生きていくためには
忘れていくことも必要なのかもしれない
忘れたくないことを身体に刻んできた
忘れたくない場所を
忘れたくはない出来事を
灯して来た
自分の世界を変えるために
生きるために
これからも灯し続けよう
自分自身に誠実にあれるように
昨夜
たまたまドキュメントで水俣病患者の戦いをみた
工業排水の中にメチル水銀が含まれており
魚介類の食物連鎖によって生物濃縮され
それらを食していた住民の方々は中枢神経疾患などになり
胎盤を通じて胎児の段階でメチル水銀に侵された胎児性水俣病も多く発生した
この女性もその子供の一人で
当時は奇病は差別の対象とされていたから
お母さんたちは子供達の病気を隠すことがほとんどだったが
勇気を持って公の場に出て
被害を訴えたと言う
そのことで世界でも広く認知され
「公害の原点」ともなった
がしかし
未だに世界では水銀に対しての認識が甘く危険物としての取り扱いがなく
この女性は60代となっても訴え、戦い続けていた
スイスの世界会議の中で
発言をした後に涙したわけを
「もうずっと同じことを言い続けている」
「本当にもうこれで終わりにした」
そう言っていた
当時まだ病気の理由がわからない時には
たくさんのいじめがあったと言う
そして2010年にも
子供達のサッカーの試合では
「水俣病、触るな!」と言った差別発言が問題になったこともあるらしい
公害から復興を遂げて
安全を宣言しないと街が成り立たないと頑張る人々
まだ問題は解決していないから
もっともっと訴えなければ!と言う被害者の方々
全く関係なくても差別される子供達
なんだか
福島のことを考える
ただ違うことは
福島の原発事故は「震災」と言う大きな言葉の中に含まれてしまい
「被害者」は「被災者」と呼ばれている
政治活動には参加しない
どれほど誠意をもって行動しても
真実を語っても
所詮、自分は”いろもの”
「選挙に行こう!」とも言わない
変わらないとは思わないけど
変わったとも思えない
「もっと酷くなるから!選挙に行こう!!」
もっと酷くなったとしてもその世界を生きよう
どの世界?
自分の世界を
自分の世界を生きる
自民党の人達の好きな世界
創価学会の人達が望む世界
バラバラな野党に希望の光が差し込み
ますます解体させられた野党の批判する世界
いい加減名前変えたらって思う共産党の世界
フェスの仕込みしてたらミサイルが飛んで来たってアラームが一斉になる世界
「対話」よりも「圧力を!」っていう世界
原発事故の終わらない世界‥‥
それぞれの世界
髪が長く入れ墨が多く角なんか耳に入れてる
自分の
自分の世界はどこだ
政治活動には加わらない
被災地には通い続ける
こんな自分が来ることを喜んで待ってくれている人達がいるから
立憲民主党に投票することにした
どうせダメだろうと思いつつも
早めに済ませよう
どうせダメだろうと思っていても
誰もいないと思っていても
今の世界が消していいとは思わないから
選挙に行ってこよう
立憲民主党の作ろうとしている世界をたいして知らないのに投票する自分もどうかしている
政治も選挙も何かおかしい
自分の中の現実に繋がらない
早くまた熊本に戻りたい
月命日の福島でみんなと逢いたい
原発がなくなったらいいなあと思う
福島の事故した原発が安全になったらいいなあと思う
たくさんの放射能が
除染されたらいいなあと思う
風評被害がなくなったらいいなあと思う
核兵器が
戦争が
テロがなくなったらいいなあと思う
この日本が
どこよりも
「平和」を作る国であれたらと願っている
それぞれの「平和」はちがうかもしれない
それでも
「圧倒的に平和な国ニッポン!!」を願っている
311震災以降
福島の避難所で出会ったおばあちゃん、おじいちゃんたちとお米づくりを始めた
物資を渡すたびに頭を下げ、「ありがとうございます!」
と言われることが辛く
みなさんのもっとも得意なお米づくりや山菜採りを教えてもらい
こちらが、「ありがとうございます!」
を言えるようにしよう
そんなことからスタートした
6年目となると
これまで出会って来た福島各地の家族が参加してくれたり
東京や新潟、そして宮城からも参加してくれる賑やかなものとなって来た
みんな大家族のように
再会を喜び合い
田んぼのことを
おじいちゃんたちは孫や、ひ孫くらいの年齢の子供達に教え
それぞれが助け合い
そして喜びあって1日を過ごす
かつては稲刈りや田植えの季節になると
親戚一同が集まり各々の田んぼの仕事を手伝っていた
今では
機械化も進み核家族化も進み
それぞれの事情からも
それほど集まらなくなって来ているだろう
「家族のように」
これがとても気に入っている
本当の家族だったとしたら
それぞれがもっとわがままを言って見たり
そもそも参加しなかったり
うまくいかないこともあるだろう
「家族」だから当たり前
「家族」のために
「家族」という最小単位の社会では
それぞれの「家族」に独自のルールがある
それこそ
独裁政治の国があったり
超個人主義の国もあったりする
それは差別ではないか?
犯罪に近いようなことも、、、
社会のために活動しているから
「家族」をないがしろに、、、
きっとみんなそれぞれに大変なんだろう
でも
このお米づくりで集う1日は
月命日の1日とも違い
年長者は教えることが多く
女性たちはご飯の準備をしたり
子供達は虫を捕まえて遊んだり
限りなく
自然な家族構成となる
みんながお互いを気遣い
思いやりを持ち
自然と接し
そして
みんなの食べ物をみんなで作る
言いたいことを我慢して
やりたくないのに無理をして
もしかしたらそれぞれに思うこともあるかもしれない
偽物の家族かもしれないけれど
それでも
一日中みんなの笑い声が聞こえ
そして出来上がったお米を食べる時も
みんなで喜びあって
そして何より
美味しくいただくことができる
偽物かもしれないけれど
「平和」っていうものを実感する
田植えの時も稲刈りも
収穫祭の時も「平和」な時を実感する
津波のことや地震、原発のこと
放射能や風評被害がどうでもいい訳ではないけれど
ずっと意識していることは
「絆」って言葉
「絆」ってそもそもなんなんだろうか
普段は使わないが
災害が発生した時だけ登場する言葉
なんのための「絆」なのか
ずっと気になっている
wikipediaで調べると
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絆(きずな、きづな)は、本来は、犬・馬・鷹などの家畜を、通りがかりの立木につないでおくための綱。
しがらみ、呪縛、束縛の意味に使われていた。「ほだし」、「ほだす」ともいう。
人と人との結びつき、支え合いや助け合いを指すようになったのは、比較的最近である。
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なんだか自分にとっては「家族」って縛りと近いようにも感じる
被災当時
みんなが絆!絆って叫んでいたことも
偽物っぽくて滑稽に思えるけど
偽物っぽい「大家族」が行なっている
このお米づくりは
もしかしたら
現代の「絆」づくりなのかもしれない
火とともに歩む
1994年から始まった歩み
20年以上経った今
自分を取り巻く環境は大きく変わった
それでも
同じ火を灯す
始まりから決めている忘れたくない気持ちを取り戻すために
人を殺す火ではなく
人を癒す火を灯す
フジロックピラミッドガーデン
2016年これまで築き上げてきたピラミッド群は終わりを迎えてしまいました。
7年前に日高さんから「JUNE!ピラミッド作れるか?」の一言から始まったピラミッドガーデン。
2年間は冬のスキーシーズンのコンテナ出店ベースをうちが補強して、その上にピラミッドを作ってはバラシのいわゆるフェス形式。
3年目からはその隣にしっかりとしたベースを作って常設のメインピラミッドを完成。
カフェの外装も手を加えたり、リトルナップコーヒースタンドのハウスを建設したり、スウェットピラミッドを作り、富士の溶岩石でのサウナを始めたり、、、、。
常に毎年新しい試みを、そしてより良い空間を!
みんなが暮らしているテントサイトエリアなので
ほぼ24時間営業しっぱなしというこのサイトを、信頼できる仲間たちと作ってきました。
ステージに出演してくれるのも
他のステージに出演する友人たちにお願いしたり、朝にはYOGAをしてみてはどうかなと友人にお願いしたり、、、。
早朝からコーヒー飲んだり、YOGAしたりしてフジロックに出かけて行って
そして夜に帰ってきたときには「おかえりなさーい!」って迎えるスタッフたち。
みんなのホームエリアになれたらと、これまでずっと更新作業を続けてきました。
フジロック全体からしたら小さなことかもしれませんが、
このピラミッド村を楽しみにしてくれている何人かのお客さんたちに謝ることから今年はスタートです。
謝りたいんです
今年バスを降りて橋を渡ったら、いつもそこにあるはずのピラミッドたちは
もう全部取り壊されてしまっているからそこにないんです。
たくさん歩くフジロック
デッキの上を歩いたり、ベンチに座って食べたり飲んだりできる
そんなピラミスカフェはもうなくなってしまいました。
毎年スウェットピラミッドからフジロックを始めている常連さん
今年もうあのピラミッドはないんです。
毎年たくさんのボランティアたちがフジロックのボードウオークの解体と制作を行なっています
みんなの想いが詰まったボードウオークの廃材を使ってピラミッドガーデンは作られていました
ボードウオークに書かれていたメッセージも大切にしてきました
なんのお知らせもないまま今年もピラミッドガーデンは売り切れているのだと思います
そんな機会も与えられていないので自分のブログで伝えます
今年はまたゼロからというかマイナスからのスタートだと思っています
いつものピラミッドガーデンを想像してきてくれるお客さんたちに対して
がっかりさせない
それ以上に前より良くなったねと言われるようにしなければと。
フジロックが大好きなのは
日高さんが
「ステージに出るアーティストが目的じゃないんだよね。フジロックに毎年来たいんだよ!
そんな風に言ってもらえるフェスにしたい」
という想いを今現在でも実行していることです
今年、日高さんに「JUNE!新しい森にブルーギャラクシーって感じの森作れるか?!」と言われました
ここでしか見れない
ここでしか感じられない
ここでしか出逢えない
そんな唯一無二を作り続けている日高さんを尊敬しています
だから
「JUNE!
ピラミッド作れるか!」
の約束を今年も果たします
みなさん
ピラミッドガーデンでお待ちしております
また帰って来てください
そして今年から新しく始まる第二章のピラミッドガーデンへようこそ!!
CandleJUNE
自分の国が特別だと思っている
自分が暮らしているこの国が
やっぱり特別だと信じている
福島の事故を受けて
多くの国が原発を廃止しようと決めた
でもこの国はやめようとしない
核兵器禁止条約に多くの国が賛成した
でもこの国は参加すらしない
中国の主席と総理の会談で
北朝鮮の話題になると
中国は「もっと会話を」と
日本は「もっと北朝鮮には圧力を」
この国はどこに向かっているんだろうか
友達は
いざ戦争になったら
「子供達を守るために戦うよ」
と言う
実際はそんな行動を取ってしまうかもしれないね
それでも
殺し合いをして
気持ちよく仲良くなれた国があるかといえばなかなかないという歴史を学べば
殺し合いたくはないし
そんな憎しみを残したくもない
だったら
世界中の核保有国に
「いつまでもそんな核兵器をチラつかせてお前たちは黙ってろ!!なんて言う
偽物の平和を気取ってないで、
残ってる全部の核兵器をもう一度日本に落としにこい!!」と言いたい
それでも生き残った日本人は立ち上がり
平和憲法という武器のみをもち
丸腰で皆さん方に平和というものを説いてまわるだろう
全ての国が入れる「国連」日本に作ろう
全ての国が守るべきモラルを日本人が作ろう
全ての人が美しいと思える生き方を生きよう
江戸時代前の戦国時代で
本当に戦争が嫌いになったはずのこの国は
鎖国明けでちょっと調子に乗ってしまったけど
やっぱり
「平和の民」を選んだんだ
そう思える
自分の国が大好きだ
誰かのせいにして終わりではなく
自分がそう生きよう
ブログを始めた時
自分の言葉を書くことができなかった
日記のように書ければいいが
そんなに器用ではなかった
いつも考えていることは同じで
出て来る想いを伝える言葉は
歳をとっても
たいして増えやしない
時折読み返そうともするが
恥ずかしくもなるし
何一つ達成していない自分に腹も立ったりする
311震災から7年目
熊本地震発生からのバタバタで
未だ緊急事態のままでいる自分と世間との温度差はかろうじて感じている
震災前の
空回りしていた原発反対運動を思い出したりする
言葉にせず
ただ粛々とアクションすることができたら
そう思っても
活動を支援してもらえるように
多くの人たちに
言葉を用いて伝えなければならない仕事がある
それができなければひたすらに働き
自分でなんとかすればいいだろうと
変わらぬ頑固さが出てきてしまう
だからダメなんだろうな
反省をアピールすることになってしまう時点で書くのをやめたくなってしまうが
書きたかったことに戻ろう
熊本や九州でたくさんの水害被害が発生している
現在もまだ危険な状態だ
今にも飛んで行ってできることをしたい!
と考えても行けない自分がいる
この
4月に熊本でたくさんの仲間たちと共に過ごした
6月にも行った
地震を
ずいぶん昔のことのように感じてもしまうが
余震は4000回を超えていて
今回の水害被害だ
311大震災以降もたくさんの台風被害や
そのほかの震災が起きた
それら一つ一つに対してアクションすることはできない!と決め付けて
東北に集中していた
誠実に向き合い対処していく自信がないからだ
でもこれが間違いだったと気付かされた
311が起きて7年経っても
自分ができたことは少ない
6年間集中してきたつもりでも結果はダメだった
だとしたら
最後まで面倒みるとか考えずに
今できることをやるだけでもいいんじゃないか
そしてもっと人に頼ってもいいんじゃないか
うまく言葉にはできて来れなかったけど
ずっとこれまで灯し続けてきた
そして
そのともしびの中に
たくさんの人たちの想いが
一緒に灯されてきた
その言葉の一つ一つに
勇気をもらい
次の場所へと繋いで来れた
熊本で灯した火の数は
数えていないが
言葉の一つ一つはしっかりと心に刻んでいる
九州の大変な状況のみなさんのご無事を祈りつつも
今できることを始めます
震災から6年が経つ
7年目が始まる
震災が起きて
津波が来て原発事故が起きて
ただ毎日やみくもに走り続けて終わった1年
2年目が始まる
やれること全部やると言って仮設を巡り続けたけど
何も出来なかったことを福島の人達に誤りそれでも
今年こそやる!と約束し
3年目が始まる
がんばったつもり
それでも何も変えれなかった
ただたくさんの福島の人たちが助けて続けてくれていた一年に感謝した
4年目が始まる
多くの人も去りひたすら辛抱強く続ける一年
ぽつぽつと「ずっと何かしたいと思っていたけど何もできていなかったので、、、」
そんな新しい仲間たちが東京でも増えはじめて5年目が始まる
支援する側される側でない
みんなでつくる「たのしいね うれしいね おいしいね ありがとう!」な月命日
大きな悲しみがあったとしてもみんなで楽しめる11日
6年目が始まる
自分に”出来ない”ことがあることを知る1年
そしてまた1年
”出来ない”ということを知る
うん
”出来ない”ことは”出来る”人に頭を下げて何とかする
ただ
それでも変えることができない1年があった
だれのせいにもしたくない
後悔はもう
したくはない
死んだ人達の声を
代弁するのではなく
今を生きている人達の声を
その声を聞いた自分がどう生きるのか
そして
そのひとりひとりが孤独を友にして死んでしまわないように
6年目が終わる今
たくさんの仲間が11日に一緒にいてくれる
自分に”出来ない”ことをしてくれる仲間たちがいてくれる
だれのせいにもせず
今を生きる仲間たちがいる
ずっとこころで繰り返す
父の言葉
「みんながやさしくなれればいいのにな」
ずっとこころで言い聞かす
「強くてやさしい人になりたい」